太古に生きた生物や微生物が、長い年月をかけ大地で熟成され「温泉」という資源を生み出しました。そして現代に生きる私たちが生命の触媒として温泉を利用しています。その温泉は私たちが使用することでより栄養価の高い液体となってふたたび大地に還り地球を潤します。
世の中でSDGsが叫ばれるはるか以前の昔から温泉は、地球の循環のど真ん中にいました。私たちルフロは、クラフト温泉の活用を通じて、地球と地球上に暮らす生き物の持続的な健康と環境保全の実現を目指しています。

三田直樹


クラフト温泉開発ヒストリー

VOL 0
石油から温泉へ

 誰にもノックされないのなら、新しいドアを作ろう。

ミルトン・バール

震災とエネルギービジネスでの『違和感』

2011年3月11日、三田は名古屋にある電力会社で複数の打ち合わせに参加していた。当時盛んに議論されていた電力自由化とCO2の排出権に関するリスクマネジメントについての話だった。
その日は元々仙台で同様の打ち合わせを予定していたのだがリスケになり、入れ替わる形での名古屋訪問だった。三田は最初の打ち合わせが終わり、次の3時からのミーティングを前に遅い昼食を取っていた。
その時ゆらゆらと揺れを感じた。後から調べたら震度3であったが、その時は随分長く揺れるなぁという程度だった。その後打ち合わせに向かったのだが全ての予定は中止と言われた。
-その時初めて三田は東日本大震災があったことを知ったのだった。


当時三田は、欧米の投資銀行で資源を中心とした国際商品市場部門に勤務していた。24時間休むことなく資源のトレーディングを行う部門だった。震災当日もシンガポールを中心に東京や香港を結びトレーディングを行なっていた。三田はたまたま当日出張で名古屋にいたがメンバーは六本木のオフィスで被災した。
国際商品は現物に加え先物市場も有する自由市場だ。三田が携わっていた石油市場も実需家以外にも投機筋などが参加し、市場に十分な流動性を供給し活発に取引が行われている。相場は、受給以外に紛争や災害などの地政学リスクにも大きく左右されるのだが、この時の大震災もまさに相場の大きな変動要因となった。
結論、三田が所属していたトレーディングチームはこの震災で大きな利益をあげた。市場参加者のプロとして当然の結果であった、、はずだった。

目の前で多くの方々が被災し亡くなる中で、市場における「イベント」の一つとして取引の材料にしてしまう現実。これまでも戦争や災害を「材料」に取引していた自分。不都合な真実から目を背けていた自分。
いったい自分はなんのために仕事をしているの?

日本中が暗く、文字通り真っ暗だった2011年春 三田はこの後の人生を決める運命の出会いをする。

そう、”湯治”との出会いであった。

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