100年後「そういえば病ってあったよね」

全ての病態、全ての病気、全ての病弊を追及すると、ミネラル欠乏にいきつく。

ライナス・ポーリング

2011年、震災の年、僕は秋田の玉川温泉で湯治に初めて出会った。これまでの温泉とは明らかに何かが違った。あの時は精神的にもちょっと特殊な状況だったと思う。でも明らかに何かが違った。散々入ってきたくせに僕はこの時温泉という存在に初めてきづいたのだ。そしてその秘密がミネラルということを知って、ミネラルからポーリング博士の遺した言葉を知って、そして確信を持った -僕は温泉に人生を捧げよう-
人類にとって地球上でイチバンの”ガイアツ”は病だと思っている(人と人との争いは内圧)。人々の「生き切る」という自由を簡単に奪うこの病をこの世からできるだけなくしたい。共存する気などさらさらない。
僕らが持つ武器はクラフト温泉、ただ一つ。無謀に聞こえるかもしれないけど、ライナスの言葉の正しさを証明すれば自ずとその社会は訪れる。ムズカシイ話ではなく、ひとっ風呂浴びればいいだけなのだ。

三田直樹


クラフト温泉誕生物語

VOL 0
石油から温泉へ

 誰にもノックされないのなら、新しいドアを作ろう。

ミルトン・バール

震災とエネルギービジネスでの『違和感』

2011年3月11日、当時アメリカの金融機関に勤めていた僕は出張で訪れていた名古屋で打ち合わせに参加していた。次のミーティングを前に遅い昼食を取っていた時、ゆらゆらと揺れた。その時は随分長く揺れるなぁという程度だったが、その後の打ち合わせは全て中止となった。
東日本大震災だった。
当時僕が担当していた国際商品市場部門は、現物に加え先物市場も有する自由市場で、石油市場も実需家以外にも投機筋などが参加し市場に十分な流動性を供給し活発に取引が行われていた。この時の大震災もいわゆる相場の変動要因となり活発な取引が行われていた。
結論、僕が所属していたトレーディングチームはこの震災で大きな利益をあげた。市場参加者のプロとして当然の結果であった、、のはずだった。
それは後になって自分が携わるビジネスへの「違和感」だったと気づくことになるのだけど、その時はモヤモヤだけが残った。目の前で多くの方々が被災する中で、私達は「イベント」の一つとして取引材料にしてしまうという現実。これまでも戦争や災害を「材料」に取引していた自分。不都合な真実から目を背けていた自分。

いったい自分はなんのために仕事をしているの?

自分も含め文字通り日本中が真っ暗だった2011年春 この後の人生を決める運命の出会いをする。

”湯治”との出会いであった。

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