湯けむりを 国のちからに。

日本の湯治を世界のTOJIへ

温泉資源庁

古より人々を癒し、地域を支えてきた温泉。
日本列島を縫うように湧き出す温泉は、27,000ヶ所の源泉から日量2200万バレルの湧出量を誇り、癒しにとどまらず、地域経済、医療、観光、資源、文化といったあらゆる領域において、この国の未来を支える「国の力」となり得る存在です。
私たちは温泉を我が国における戦略的資源と再定義し、科学的知見と地域の叡智を結集し、産業・制度・文化の再構築に取り組むことを目的に発足しました。
湯けむりの立つ風景が、日本の希望となるように。
湯ごとの力が、地域を強くし、国家の底力となるように。
この挑戦の先に、持続可能で豊かな日本の姿を描くことをここに誓います。

湯けむりを、国の力へ。

三田直樹


クラフト温泉

VOL 0
石油から温泉へ

 誰にもノックされないのなら、新しいドアを作ろう。

ミルトン・バール

震災とエネルギービジネスでの『違和感』

2011年3月11日、当時アメリカの金融機関に勤めていた僕は出張で訪れていた名古屋で打ち合わせに参加していた。次のミーティングを前に遅い昼食を取っていた時、ゆらゆらと揺れた。その時は随分長く揺れるなぁという程度だったが、その後の打ち合わせは全て中止となった。
東日本大震災だった。
当時僕が担当していた国際商品市場部門は、現物に加え先物市場も有する自由市場で、石油市場も実需家以外にも投機筋などが参加し市場に十分な流動性を供給し活発に取引が行われていた。この時の大震災もいわゆる相場の変動要因となり活発な取引が行われていた。
結論、僕が所属していたトレーディングチームはこの震災で大きな利益をあげた。市場参加者のプロとして当然の結果であった、、のはずだった。
それは後になって自分が携わるビジネスへの「違和感」だったと気づくことになるのだけど、その時はモヤモヤだけが残った。目の前で多くの方々が被災する中で、私達は「イベント」の一つとして取引材料にしてしまうという現実。これまでも戦争や災害を「材料」に取引していた自分。不都合な真実から目を背けていた自分。

いったい自分はなんのために仕事をしているの?

自分も含め文字通り日本中が真っ暗だった2011年春 この後の人生を決める運命の出会いをする。

”湯治”との出会いであった。

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